story

ぼくのだいじなにっき

ぼくは先日、インターネットの通販サイトで個人用のロッカーを買った。自分の部屋で使うためだ。幅23センチ、奥行き35センチ、高さ36センチの、ダイヤル施錠式のロッカーだ。ぼくは早速そのロッカーの中に大事なものを入れ、ダイヤルで鍵をかけた。これでひ…

ワッフルウオッチ

グリーンジャンボ宝くじ。その当選番号発表の日、僕の両手は、パソコンの前で小刻みに震えていた。 「あ、当たった……」 パソコンの画面に表示されているのは、みずほ銀行の「当選番号案内」のページだ。 1、1、2、8…… 僕は何度も六桁の番号を復唱した。間違…

博士のやることなすこと

博士のやることなすこと、月の裏側に直結している。 月の裏側は、灰色の猫の皮で覆われているが、その下には、ロウソクに照らされたお風呂の水面のような湖が広がっている。 今夜、博士のやることは、パソコンの画面上にマジックでメモした来月の予定を、紙…

引っ越しの日

二十四歳の春、僕はついに、引っ越しを決意した。これまで住んでいたアパートから、隣の街のマンションへ。距離的に五キロメートルくらいの引っ越しで、小さな地方都市から、隣の小さな地方都市へという引っ越しだった。 それまでに住んでいたアパートは壁が…

138億年の物語

ひどいことが起こったのは知っているよ。確かにね。でも実際にそれが起こってみて、君はもっと前のひどいことでできた自分の空白を埋め合わせるために、あのことを利用していたんじゃないかって思ったんだ。だったら感謝しないといけないんじゃないかな。今…

差し向かいのテーブルの向こう側から、よく冷えたウーロンハイを僕の顔面にぶっかけた君は、水に濡れた視界が鮮明になる瞬間、今まで見たどの瞬間の君よりも綺麗だった。アルコールに酔い、少し青みがかった瞳、突き通そうとする真っ直ぐな意思は研ぎ澄まさ…

辛い獣

狼の群れが歩いている。凍てつくような白銀の世界でその体は静かに躍動し、吹き付ける風に銀色の毛並みが揺れる。大きな群れだ。三十匹はいるだろうか。 その群れから遠く離れた場所で、二匹の狼が足並みを揃えて歩いている。年老いたほうの狼が、少し前を行…

なんでも入れ

僕の部屋には「なんでも入れ」というものがある。「なんでも入れ」は、縦三十センチ、横四十センチ、深さ十センチほどのカゴだ。捨てるかどうか即座に判断できないモノ、しばらくは置いておきたいものなどを一旦入れておく。具体的には、フリーペーパー、気…

おもいでボタン

五年前に買った薄型テレビ。そのテレビのリモコンには、「おもいでボタン」というものがついている。わたしは思い出すたびに、このボタンを押してみるのだけど、今まで三十二型のテレビに、反応があったことはない。この五年間、何度かテレビの取扱説明書を…

流浪の果てに

電車に乗って窓の外を眺めていると、僕は時々キリタニさんのことを思い出す。キリタニさんは、全国を転々としている男の人で、僕より十歳年上だ。面白いのはその転々と仕方で、いつもしっかりと地に足をつけて転々としているように見受けられる。 キリタニさ…

超高齢化社会

2213年12月31日、大晦日。 東京、日本武道館。秋から売り出されていた宝クジの大抽選会が行われようとしていた。0から9までの数字が描かれたルーレットが八つ並んでいる。そのルーレットに向かって矢を放つ、若く見目麗しい八人の女性。 この日本で、人類の…

肉食系女子

「俺はマスクをしている女の人が好きなんだよ」 「また…… いったいどういう趣味ですか? それ」 「違うよ、そういうことじゃないよ。マスクをしてるとさ、なんか目元が涼しげに見えて、女の人が綺麗に見えると思わないか?」 「ああ、そういうことですか。ま…

アスファルトも冷めない夏の夜に

東日本大震災があった年の夏、節電対策で、会社のトイレの電気が、自動式になった。トイレ内に人がいるいないを察知して、電気が自動でついたり消えたりするのだ。 でも、人がいないのに電気がついていることが時折あって、僕はなんとなく不思議に思う。いっ…

ここはどこ あたし よ たれ

あなたは立ちくらみから回復した瞬間、どこか違う世界にやってきたような、あるいはどこか違う世界から帰ってきたような、そんな感覚がしませんか? 実はそれ、正しい感覚なのです。私たちは立ちくらみを起こすたびに、違う世界に、もうひとりの自分を誕生さ…

飲み屋

だいぶ昔、やっと覚えたビール以外の酒を、飲み屋で舐めるように飲んでいたとき、隣に座った男がこんなことを喋った。その男が僕にとって誰だったのかは、よく覚えていない。 「世界でたったひとつということほど、孤独でつらいことはない。僕たち人間はどう…

みかんちゃん

空から音楽が降ってくるようになったのは、意外にもその歴史は浅く、五年くらい前のことだった。それが人々に受け入れられ、その心に深く浸透したため、僕たちはそれをずっと昔からある“自然なこと”だと思っていた。江戸時代の人たちが、鎖国をそのように考…

とんとんとん なんのおと?

キーコ キーコ キーコ 鮮やかな黄色の鳥が、今あたしの部屋の洗濯ヒモに捕まり、ブランコのようにして遊んでいる。洗濯ヒモは部屋の壁から壁へ金具で繋げてあるので、本当にブランコを漕いでいるかのような音がする。 セキセイインコ。子どものころに飼って…

題名のない未来

もし次にまた住む街を変えるのなら、西新か、門司港か。そんなことを考えながら彼はクルマを走らせていた。クルマにはルアー釣りの竿と道具が積んであり、門司港のノーフォーク広場に向かっている。 もしまた誰かと一緒に住むのなら、五年前、わたしが選ばな…

そら

ぼくは今年の1月31日に、飼い主に捨てられた犬だ。今は、野良犬として生きている。 今日は早めのお昼ごはんを食べた。何を食べたかは、みんなには言わないでおく。きっとみんな、顔をしかめるだろうから。 昨日台風がこの国の太平洋岸をかけぬけて、今日はな…

月ひとしずく

ねえねえ。昔はきみんとこのほうに、僕たちは住んでいたんじゃないの? 何があったの、いったい何があったの? 僕たちは世界が丸ごと滅びるような戦争でもしたの? それとも隕石が衝突したの? 何か危険なものが全て爆発してしまった? なんとなく全てがいや…

ゴンベの奇妙な癖

「どうも左側によれていくな…」と僕は不思議に思うのだった。 飼い犬のゴンベが左へよれるようになったのは、一週間ほど前からのことだ。散歩に連れて行くと、どうしても左へよれる。 「おいゴンベ。おまえどうかしちゃったのかい?」 声をかけると、ゴンベ…

違和感のアサガオ

「ツルの巻き方にも癖ってあるのかしら」と不思議に思った。 あたしの部屋のベランダにはプランターが二つ置いてあり、アサガオのツルが伸び始めている。毎年ゴールデンウィークのころ、ひとつのプランターに種を五個ずつ植える。つまり今、十本のツルが細い…

戸惑い纏って飛んだ、鮮やかな蝶

「あ、ちょうちょ、ちょうちょ」 男の子が窓の外の蝶に誘われ、ふらふらと部屋を出て行く。お母さんはそんな男の子を、洗濯物を干しながら眺めている。男の子が生まれたのは、今から22年前だ。大きな災害が列島を襲い、その国は横に5メートル広がった。 大災…

何を書けばいいのかわからないのだ

「始めなくたっていい、終わらせるんだ」 「そうしたらまた、はじまる?」 「大きな山や、揺れる水平線を見ていると、少し思い出すものがありました」 「今僕は未来に立って、過去に向かって呟く」 「結局人の気持ちなんてわからないものです。自分が思う相…

遺産

きみは誰よりもぼくの気持ちがわかるし、ぼくは誰よりもきみの気持ちがわかる。 でもぼくたちは世界中のどんなふたりよりも、お互いの気持ちを伝え合うことができなかった。 わかりすぎるがために。 「さよなら、さようなら」 フェンスの上にとまったカラス…

幸せになってね

雨もまた降って、外には用がない。 むかし、“アメ”という名の犬を飼っていた。当時としてはわりと珍しかったミニチュアダックスフンドで、チョコレート色した犬だった。 ある日、アメと河川敷を散歩していると、向こうからハンバーガー屋の紙袋を手に提げた…

バレンタイン・デー

「私はこの三十四歳から三十七歳の三年間で、普通の人が二十代でやらなければいけないことを一気にやった」 「ほう、それはつまり、二十代がくだらなかったってことかな?」 「私の二十代は、人に蔑まれるほどに何もなかったし、羨まれるほどに何かがあった…

桜の季節を楽しむために

「冬は寒いから温かい気持ちになれるんだよ」 無駄にキムチ味となった鍋料理をつつきながら、僕は言った。 「そんなことない。暖かい季節のほうが、温かい気持ちになれるよ」 とマイは言う。 「暖かい季節って、あの季節のことか?」 「そう、春よ」 「春に…

パパが死んだ日

「おい、ジェニファー。お前まだサンタなんて信じてるのかい?」 クラスの友達は、みんなアタシをバカにした。サンタなんかいないって。アタシは大好きなパパに聞いたの。「サンタはいるんだよね?」って。 「ジェニファー、サンタは信じる人の所にだけやっ…

おててつないで

使われなくなったトンネルは、入り口も出口も封鎖されたりするらしい。どっちが入り口でどっちが出口か、って話だが。 ある年の夏、蒸し暑い深夜、短大生の女の子三人組がドライブをしていると、そういうトンネルに出くわした。女の子三人組は車から降り、物…