飲み屋

 だいぶ昔、やっと覚えたビール以外の酒を、飲み屋で舐めるように飲んでいたとき、隣に座った男がこんなことを喋った。その男が僕にとって誰だったのかは、よく覚えていない。
「世界でたったひとつということほど、孤独でつらいことはない。僕たち人間はどうしても、自分の個というものを大切な、かけがえのないものと思いたがる。でもね、それは自惚れってものだよ。人間ってのは、結構少ないパターンに分類されるんだ。それはもうほんとに、少ないパターンだよ。血液型より少し多いくらいだ。おっと、ちょっと言い過ぎたかな。もうちょっと多いかもな。ずいぶんと人間を馬鹿にしている、君はそう思うかい? でもね、少ないパターンに分類されるってのは、安心感があるものなんだよ。君は自分のことを卑下しながら、あるいは特別だと思いながら、そのふたつの気持ちのなかでいつも揺れている。そしてマイナスとプラスの気持ちのなかで行き来しながら、自分がイコール、あるいはゼロなんだって気づく。つまり、平凡だ。平凡に気づいた君はこう思う。わたしはその他大勢なのか、ってね。そんなことはない、ってのが世の中の風潮だ。君は世界でひとつだけの花だ、と。君は花にたとえられ、少し勇気づけられる。そうか、わたしはささやかながらも、世界にひとつだけの花か、と。人間を花にたとえるなんて、綺麗な比喩だよ。でも、考えてみたことがあるかい? 世界に一種類で、一輪だけの花があるのか」
 彼はワイルドターキーのロックをがぶりと飲み込んで言った。
「ないよ」
「君はもう、ほとんど気づいているだろう? 同じ繊細さを抱えて自分の先を歩く人たち、同じ繊細さを抱えて自分の後ろをついてくる人たち。まだ知らない心のありようを持つ先輩を追いかけ、自分が経験し乗り越えたことで苦しむ後輩を見て、自分がこれまでに手に入れたものを確かめるんだ。そうすれば、ずいぶんと生きるのは楽になる。ま、これは君タイプの人間の話だ。でも、他の数種類のタイプの人間も同じだ。先を歩く人がいて、追いかける人がいる。うん、そうだな、後を追いかけてくる人に、たまに教訓を垂れてやるのもいいだろう。響くのは君と同じパターンを持つ人間だけだが、何しろ人間のパターンは少ない。その数は、決して少なくないだろう」
 飲み屋のドアを開け外に出ると、月がいつものように地球に謝っていた。でもそれが嘘だということを、僕は知っていた。