おもいでボタン

 五年前に買った薄型テレビ。そのテレビのリモコンには、「おもいでボタン」というものがついている。わたしは思い出すたびに、このボタンを押してみるのだけど、今まで三十二型のテレビに、反応があったことはない。この五年間、何度かテレビの取扱説明書をめくってみた。目次を見てみたり索引を見てみたり、パラパラとめくってみたり。しかしそこに、おもいでボタンの説明を見つけることはなかった。
 わたしは今日、仕事が休みだった。昨晩から十時間以上眠り、午前十一時過ぎに起きた。二十代も後半になってから、昔のように昏々と眠ることができなくなり、こんなに長い時間、目を覚まさずぐっすりと眠れたのは久しぶりのことだと思った。庭からは、父がビールの空き缶を潰す音が聞こえる。資源ゴミとして、たくさん袋に詰めるために小さくつぶしている。還暦を迎えてもまだまだ壮健な父は、分厚いゴムの長靴を履き、足で大量のビールの空き缶をひとつずつつぶしていく。つぶされていくそのビールの空き缶たちのほとんどは、父自身が毎晩一本ずつ飲んだものだ。
 わたしは起きたあと、しばらく部屋でのんびりと過ごし、そのあとクルマに乗って南のほうへ出かけた。濃い豚骨ラーメンを食べたいと思った。女だけど、わたしはひとりでラーメン屋に入れる。久しぶりに食べた濃いとんこつラーメンは、やっぱりおいしかった。でも、また数ヶ月食べなくてもいいなと思った。濃いやつは、ときどき食べたくなるのだ。そして、ときどき食べるだけでいい。
 ラーメンを食べ終わってから、ドラッグストアに寄り、頼まれていた父用のビールを一ケース買った。そのあとファストファッションの店に寄り、靴下を三足と、下着を四枚買った。そのままどこかにドライブに行きたい気もしたけれど、まっすぐ家に帰った。
 家に帰ってきて、部屋で緑茶を飲みながら少しゆっくりとした。そのあと庭の様子を見てみると、父が再びビールの空き缶をつぶすため、庭に下りてくるところだった。大量の、数ヶ月分のビールの空き缶。わたしも庭に下り、空き缶つぶしを手伝うことにした。こんなことを手伝うのは始めてだ。
 わたしと父は、仲が悪いわけではない。だけど、父娘としてコミュニケーションが活発なわけでもない。何か打ち解けない、探り合うような、緊張感のある関係なのだ。たまに母は、笑ってこう言う。
「あなたとお父さんの関係って、まるで世間で言う父と息子の関係みたいよ?」と。
 わたしは、お父さんのように足の力で空き缶をつぶすことはできない。倉庫から農業用の鍬を持ち出してきて、その鉄の部分で空き缶を潰す。空き缶をまっすぐに立て、上からグシャッと。ペチャンコに。そのようにして、寡黙な父とふたり、黙々と空き缶をつぶした。
 しばらくの時間を使い、大量の空き缶つぶしは終った。わたしは部屋に戻り、テレビをつける。なんともない地方局の情報番組が、高いテンションで放送されている。ふと、あのボタンのことを思い出す。数ヶ月に一回思い出す、おもいでボタンのこと。テレビ画面の変化に注意を向け、押す。テレビ画面が、少し光った気がした。初めての変化だ。
 この春、わたしは結婚する。お相手は一回り上の四十歳。少し、お父さんっぽい人だ。あちらさんの両親とも、こちらの両親とも離れ、わたしたちはふたりで暮らし始める。母の作る、このなんてことのない夕食を、あと何回食べられるのだろう。わたしはおいしいともまずいとも思わずに黙々と晩ごはんを食べ、父はいつものように缶ビール一本を飲み終わるまで、いろんなおかずを少しずつ箸でつついていた。
 晩ごはんを食べたあと、わたしは部屋に戻り、何冊かの本を少しずつ読む。今読んでいるのは、時代物の小説と、二冊のエッセイ。少し気が済んだところでお風呂に入った。お風呂から上がって、部屋でストレッチもどきのようなことをやっていると、父がビールを持って部屋にやってきた。身体を伸ばすわたしの横をそそくさと通り過ぎ、テーブルの上に缶ビールをコトンと置く。
「だんなさんと、楽しく暮らせるといいな」
 父はそう言って、部屋を出て行った。
 わたしはストレッチもどきを終え、テレビをつける。ビールを開ける。お風呂から上がってストレッチ、そのあとビールだなんて、なんて幸せなことなんだろうと少し思う。ごくごくと短い時間でビールを飲み干し、がんばらねばと思った。もう一度おもいでボタンを押してみると、テレビ画面はぽうーっと優しく、淡く光った。