そら

 ぼくは今年の1月31日に、飼い主に捨てられた犬だ。今は、野良犬として生きている。
 今日は早めのお昼ごはんを食べた。何を食べたかは、みんなには言わないでおく。きっとみんな、顔をしかめるだろうから。
 昨日台風がこの国の太平洋岸をかけぬけて、今日はなんとも冷たい北風が、ぼくの心の隙間を、ぴゅーぴゅうと吹き抜けている。いっそ吹きっさらしにしてやろうと、午後から、高い場所にある国道をうろつくことにした。
 国道沿いの電光掲示板には『追突注意 21℃』って表示されていたけど、追突しやしないよ、こんな心は。空には夏のものとも秋のものとも言える存在感の雲がぷかぷかと浮かんでいて、ぼくは立ち止まって、しばらく眺めた。ずいぶん昔に、こんな気持ちで空を眺めた気がする。そのころも、ぼくの心は空っぽだった。でもそのころのぼくはちっとも、むなしくなかった。ぼくはその空っぽの心を使って、ものをよく見通すことができたし、どんなことでも考えることができた。
 いろんな形のクルマが、少しぼくを気にしながら通りすぎる。横に飼い主はいなくて、ひとりだけど、ぼくは数ヶ月ぶりに散歩をしているのだと思った。心が埋め尽くされるってのは、快感なんだ。一緒にいたころ、ぼくの心は飼い主に埋め尽くされていたし、たとえそれが悲しみだとしても、捨てられてしばらく、ぼくの心は埋め尽くされていた。
 再び空っぽの心を抱えて、ぼくは歩く。お昼に食べたものが胸焼けする。夕焼けがとてもきれいだ。首輪はもう邪魔かもしれない。明日は胸焼けしない食べ物を、探そう。