超高齢化社会

 2213年12月31日、大晦日
 東京、日本武道館。秋から売り出されていた宝クジの大抽選会が行われようとしていた。0から9までの数字が描かれたルーレットが八つ並んでいる。そのルーレットに向かって矢を放つ、若く見目麗しい八人の女性。
 この日本で、人類の悲願とも言えるある薬が開発されたのは、二百年前、2013年のことだった。それは不老不死の薬。日本国政府は、発明した研究機関の人たちを首相官邸にまねき、その功績を讃えた。だが、開発にかかわった人たち全員を首相官邸にまで招いた理由は、他にあった。その薬の取扱い、および開発レシピを厳重に管理することだ。
 しかし、そんな政府の努力もむなしく、不老不死薬は瞬く間に広がってしまった。いや、薬自体が広まったわけではない。不老不死の効果は、薬を飲んだ人から他の人へ、空気感染をするものだった。真相を隠すことが困難と見た日本政府は、情報を国民に向けて発信せざるを得なかった。
■我が国で不老不死の薬が開発されたこと。
■臨床実験として薬を服用した最初の数人から、不老不死のウイルスが発生し、空気感染していっていること。
■感染力は一般的なインフルエンザよりやや強力。
■マスク、うがい、手洗いを徹底し、しばらくのあいだ不必要な外出は極力さけること。
「俺なんて独り身だし、若いころから散々楽しいことやってきたし、いつ死んだっていいよ」
「子供も立派に成人したし、会社も定年退職した。あとはもう毎日縁側でのんびりお茶でも飲んで、お迎えが来るのを待つだけさ」
 人はふだん、格好つけてそんなことを言う。でも、やっぱり違った。不老不死に対する人間の欲望は強かった。多くの日本人は、しばらくのあいだうがい手洗いをしなくなり、不必要に人ごみの中へ出かけた。マスクをした人だらけだったこの国から、マスクをした人が消えた。人々は何か言い訳じみた表情を浮かべながら、しばらくのあいだ不衛生に過ごした。
 政府の発表から、半年が経過した。ウイルスの特性を考えると、流行は収束しているものと考えられる。でも誰にも、自分が感染しているのかどうかわからない。モヤモヤとした空気が国中を覆うなか、ひとつの象徴的なできごとが起こった。いじめに耐えかねた中学二年生の男子が、十三階建てのビルから飛び降り自殺をしたのだ。少年は、死ななかった。頭蓋骨が砕け、現場に脳液が飛散するような状況だったが、少年は生きていた。そして少年は、二百年経った今も生きている。頭部が崩壊した状態で。倉庫のような部屋のなかで。キーコ、キーコと手足を動かして。
 十年、三十年、五十年と経過していくうちに、深刻な状況が明確になってきた。結局のところ、この日本国に住むほとんどの人間は、不老不死ウイルスに感染していた。いや、正確に言うと、その薬は不老ではなかった。不死なだけであった。国中に溢れかえる「超老人」と呼ばれる人たち。超老人たちの願いは死にたいということだ。それも格好をつけて死にたいと言っているのではなく、本当に死にたいのだ。ひたすらに老いは進んでいくのに、ひたすらに生き続けなければいけない地獄。自ら命を断とうとしても、死ねぬ。体の傷が増えるだけ。街を埋め尽くす、百歳を超える人たち。ウイルス世代ではない若者たちは、自らの人生全てを、超老人たちのために捧げた。そして普通に老い、寿命を迎えて死んだ。また新しく若者は誕生し、超老人を支え、死んだ。
 日本国民、そして研究者たちの悲願は、「死ねる薬」を開発することになった。研究者たちは政府、および国民の全面的なバックアップを受けて研究を続けた。そして、ついに不死薬の効果を打ち消す薬の開発に成功した。その薬を飲めば、不死は終る。死ぬことができる。
 ただし、その薬は材料の調達が困難で、かつ、特定の環境でしか生成することができなかった。また、残念ながらウイルス化し、空気感染するようなこともない。政府は、東京高尾山に大規模な精製設備を作り、日本全国から素材を調達し、一年をかけて生産した。しかし、その年調合できたのはわずか五十人分であった。いったいどのような方法でこの五十個の錠剤を人々に供給するのか、誰に与えるのか。どうすれば平等になるのか。政府が決定したのは、伝統的なあの方法だった。
 年末ジャンボ墓地宝くじ。秋から一枚三百円で売り出されたこの宝くじの一等は、「墓地」とされた。前後賞はない。一等「墓地」が当選した人には、例の錠剤が渡される。高速回転する八つのルーレットの前に、今、若く美しい八人の女性、「ミス墓地」が立つ。幸運の女神たちが決める運命、それは生からの解放。めくるめく死への誘い。彼女たちの放つ天使の矢が、今、死を決定す。