彼が幼稚園に通っていたころ、こんなことを言った。
「お遊戯なんて子供だましで馬鹿らしい」
 そのころから彼は、父親である私にもよくわからない人間だった。いつ喜び、いつ怒り、いつ悲しんで、いつ満足しているのか。小学校に入ってから、彼は家族以外の周囲の人たちにもそういう印象を与えていった。ただ彼は器用な人間だった。人とコミュニケーションを取って生きていくことができた、たとえそれがうわべだけのものだとしても。それに頭も良かった。彼とかかわったほとんどの人間は、彼と接しているとき、心地よさと、彼という人間のわからなさを同時に感じた。父親である私も同じ感想を持っていた。
 親にさえ決して本心を見せない彼。しかし育てるのに苦労はしなかった。彼はもう何もかもわかっているといった表情で、中学、高校、大学をうまい具合に駆け抜け、それから生きていくのに苦労しそうにないような就職をした。家にもいくばくかの金を入れてくれ、世間様からみれば全くよくできた息子ということになるのだろう。彼は家族と楽しそうに夕飯を食べ、ときには居間に深夜まで居座り私たちと楽しげに会話をした。でも私は断言できる、彼と気持ちを通わせたことがないと。本当の彼はいつ喜び、いつ悲しんでいるのだろうか。私は思った、彼が幸せでありますようにと、彼の心の奥底に、暖かい幸せの炎が灯っていますように、と。
 そんな彼が交通事故にあったのは、今から一年前のことだった。交差点を歩いて渡っていて、全くスピードを緩める気配のない車にはね飛ばされ、強く頭を打った。そして彼は、なにも考えられない人になってしまった。自分が生きていく上で、いや生命を維持していく上で、と言ったほうがいいかもしれない。そのために必要なことは本能的にやっていた。彼はしかし、それ以外のややこしい現代人間的な知識、振る舞い、記憶を全てなくしてしまったのだった。
 私はそのことを、とても強く、 喜んだ。
 彼の表面をずっとおおってきたものは、七色に輝いていながら、まるでバリアーのように彼の感情を守ってきた。それが全てなくなってしまったのだ。父親である私は、これから彼の本当の喜び、悲しみ、憎しみ、満足を見ることができるかもしれないと思った。今まで見たことのない、彼の本体というやつを。
 退院してしばらく、彼は毎日ただ部屋に座っていた。しかしある朝起きてみると、倉庫から出してきた釣竿を磨いていた。一通り手入れをしたあと、彼は私たちと朝の食卓につき、肉食獣のようにものをがつがつと食べた。食べたのは野菜だが。そのあとドレッシングで汚れた手を太もものあたりで拭き、彼は部屋へ戻った。しばらくして再び私の前に姿を現した彼は、右手に釣竿、左手に釣り道具を持ち、表情を変えず仁王立ちだった。
「川へ行ってみたいかい?」
 彼は毅然とした態度で肯定も否定もしなかったが、つかつかと私の横を通り過ぎ、玄関を抜け、車の横に立った。私は急いで準備をすませ車に乗り、エンジンをかけた。
 その日から一年間、彼が風邪を引くなどしてどうしても出かけられないときを除いて、毎日私たちは釣りへ出かけた。晴れの日はもちろんのこと、雨の日には、彼は雨ガッパを着て朝の食卓に現れた。
 川につくと、彼は毎日同じポイントで釣りをした。そこは川の中州であり、ボートで渡れるようになっていた。初めてそこに来たとき、彼は中州を眺め、それから岸にあるボートの横に立った。何も言葉を発さないし、表情も変えない。しかしそれは「自分はあの中州で釣りをする」という自己主張だった。私は彼と一緒にボートに乗ろうとした。しかし彼はそれを手で制し、自分は一人で中州に行くのだと主張した。それから毎日、日長一日釣り糸をたれる彼を眺める私の一年間が始まった。彼にとって私は、釣り場まで自分を運ぶ道具なのかもしれないと思った。
 魚は釣れなかった。彼は何を釣ろうとしているのだろう。わかっていることは、彼は私に毎日川まで運んで欲しいこと。川に着いたら自分だけ中州に行くのでほっといてもらいたいこと。一日の釣りが終わったあと、たとえ釣れなくてもそれは恥ずかしいことではないと毅然とした表情をすること。家に帰って無心に釣竿の手入れをすることだった。彼には本当の感情というものがなかったのだろうか? いやしかし、それなら釣りをしたいと思うはずがない。私はいつも、中洲にいる彼を眺めながら願い続けた。今の彼が無表情なのは元々の気位の高さのせいでありますように、と。どうか彼が、釣りをしているとき幸せを感じていますように、と。
 年も押し迫り、その日はこの冬一番の寒さとなった。朝、彼はマフラーを巻いて食卓についた。いつものようにぐちゃぐちゃに食べ物を摂取すると、彼はそのマフラーで手を綺麗にした。電球が取り付けられた街の街路樹は、夜にはクリスマスツリーとなるのだろう。外を眺める彼はなにを考えているのだろうか。車はいつものように川原につき、彼もまたいつもと同じ様子でボートを漕ぎ出し中州へ行く。私もいつものようにその様子を見ている。
 太陽の円、その下の端が西の山の線に触れたときだった。彼の釣竿が初めてしなった。大物がかかったらしい。地面に座っていた彼は、全く驚きを見せない感じでのっそりと立ち上がった。魚の動きにあわせ機械的に釣竿を操作し、弱ってきた頃合を見て、高くかかげた。水面に上がってきた魚に空気を吸わせ弱らせると、彼はカリカリとリールを巻いた。世界は全て凍りつき、この世で今動いているのは、リールを回す彼の右手だけだった。カリカリ、カリカリと。
 彼は釣り上げた魚をずっと使われることがなかった、しかし毎日持って来ていたクーラーボックスに入れ、手際よくぱたぱたと後片付けをしボートに乗った。街路樹の電球がともされ街全体がちかちかと明かりを放ち始めたとき、凍りついた世界を溶かすかのように、空には初雪が舞い始めた。何度かオールを動かすことによって推進力を得たボートは、彼が身動きひとつせずともこちらの岸に近づいてくる。動き出した世界のなかで、今度は彼だけが動かない。岸にボートを固定した彼が歩き始めたとき、ひときわ大きな雪の結晶が現れた。それは踊るようにふわふわと落下し、にっこりと笑う彼の鼻の上であたたかくとろけた。