捏造

『というわけで、今度の日曜午後六時、あなたの母校の体育館裏に来てください 』
 そんな手紙を受け取ったのは、火曜日の夕方のことだった。あたしは今大学生で、家族と離れ一人暮らしをしている。この手紙のいう「母校」とは、たぶんあたしが通っていた高校のことだろうと思う。それにしても変な手紙だ。まず、いきなりこういう内容の手紙を送りつけてくることが変だけど、そんなことよりも「というわけで」という文面が変だ。手紙にはこの一行しか書かれておらず、あたしは「というわけで」が「どういうわけ」なのかがさっぱりわからない。思い当たるふしもない。
 日曜日の夕方になった。あたしは母校の体育館裏に行ってみることにした。あたしの好奇心旺盛な性格は、この手紙を無視することができなかったのだ。懐かしい道を歩き通っていた高校へたどり着く。高校の様子はあたしが通っていたころとちっとも変わっていなくて、あたしは体育館裏にまっすぐにたどり着くことができた。
 体育館裏に着いたあたしは辺りを見渡してみる。しかし人の気配はない。ちょっと来るのが早すぎたかしらと思いながら段差に座りタバコを吸っていると、ふいに後ろから目隠しをされた。そして何か液体の染みこんだハンカチを口に当てられる。あたしの意識は、次第に遠くなっていった。
 目を覚ますと、薄暗い部屋のなかにいた。あたしが連れ込まれた場所は、古い民家の一室のようだった。部屋のなかは殺風景で、あたしは太い柱に紐で縛り付けられていた。しかしどういうわけか、右手だけは自由にされていた。
「やあこんばんは。あなたにはぜひ手紙を書いていただきたいのです」
 ふいに頭の上から声が聞こえてきた。見れば天井にスピーカーが備え付けられている。その声は初老の男性という感じだったけれど、なにか機械を通して意識的に変えられた声だった。変な話だけど、あたしはその声に親しみを感じた。元々あたしは年配の男性が好きだし、スピーカーを通して聞こえてくる声はとても優しく、スマートで礼儀正しい紳士を想像させた。とは言っても、あたしは今監禁されているのである。柱に紐で縛りつけられていて、そしてなぜか右手は自由だ。となるとやることは決まっている。あたしは自由な右手で、紐の結び目を探した。
「おっと、おかしなことは考えないほうがいいですよ。あなたの自由な右手は、紐をほどくためでなく手紙を書くためにあるのです。もしあなたが紐をほどいたならば、その部屋には毒ガスが充満することになっています」
 あたしはカメラで監視されているらしい。見ればあたしの五メートル先の棚には、カメラが備え付けてあった。スピーカーの声の主はそのカメラを通じて、どこからかあたしを監視している。あたしは彼の言うとおりにしようと思った。変な話だけど、必死に逃げようとしなくてもいいんじゃないかと思っていた。彼はただ手紙を書かせたいだけで、あたしがちゃんと言うとおりにすれば、例えば「ご苦労様でした」なんて礼儀正しくお礼を言ったあと解放してくれるのではないか、彼の丁寧な言葉を聞いてそんな風に思っていた。
「では、よろしくお願いします」
 手紙を書く気になったあたしの様子を見て、彼はそう言った。あたしの目の前にはちょうどよい高さのテーブルがあり、そこには開かれたノートとペンが置いてあった。あたしは自由な右手で、このノートに何か書くのだろう。
「ではまず、こう書いていただきたい。私が口にする言葉をそのまま書き写すのです。では一行目行きます」
 あたしは彼が口にした言葉をそのまま書き写した。
『というわけですので 今日の午後六時 あなたがよく行くマクドナルドの裏口まで来てください』
「書きましたか? では次の一行を書いていただきたいのですが、今書いた一行の下に少し余白を開けて書いてください。そうですね、三センチもあれば大丈夫だと思います。書いていただく言葉なんですが、あなたの今までの人生のなかで一番苦手だった人を書いてください」
「ドウモアリガトウゴザイマシタ コレデオワリデス」
 あたしがそれを書き終えると、やはり彼は礼儀正しい言葉遣いでそう言った。しかしその響きに、あたしは先ほどまでの親しみを感じることができなかった。その声から、人間らしい感情の色は失われていた。あたしは付き合っていた男性にフラれるたび、親友の女の子に言われる言葉を思い出していた。
「あなたは人を信じすぎるのよ」
          ■
 ぼくは今高校一年生で、寮生活をしている。今日は普段より早く学校に着いた。ぼくは誰もいない教室でぼんやりとしていたのだけど、ふと机のなかに手紙らしきものが入っているのに気づいた。ぼくはラブレターかと思って一瞬ときめいた。けれど今考えたらラブレターなわけがなかった。だって手紙が入っていた封筒は、茶色いそっけないものだったから。
『というわけですので 今日の午後六時 あなたがよく行くマクドナルドの裏口まで来てください』
 おかしな手紙だなと思った。手紙にはその一行しか書かれていなかった。何が「というわけ」だ!
 ぼくはこんなおかしな手紙の相手をするつもりはなかった。でもぼくはマクドナルドのハンバーガーが大好き。あの手紙は変な手紙だなと思ったんだけど、あれを読んで食べたくなったのだ。ぼくはバスケット部に入っていて、練習が終わったあとマクドナルドに行った。時間はちょうど午後六時だった。せっかく来たのだから……。
 目を覚ますと、そこは暗い民家の一室のようだった。ぼくはどうやら気絶をしていたらしい。ゆっくりと記憶をたどってみて、ぼくはマクドナルドの裏口に行ったことを思い出した。そこで変な液体の染みこんだハンカチを口にあてられ気絶してしまったのだ。やはりあの手紙の相手などしてはいけなかったのだ。
「こんばんは、気分はどうですか?」
 天井に備え付けられたスピーカーから声が聞こえてくる。彼の要求はスピーカーを通して伝えられた。僕は彼の言うとおりに手紙を書くことになった。
「では一行目をお願いします」
『というわけで 今日の午後六時 あなたの愛を確かめに行きます』
 おかしなことを書かせるなあとぼくは思った。それにしてもスピーカーの声はとても丁寧な感じでぼくに話しかける。ぼくのようなガキンチョにこんなに礼儀正しく話す人ってどんな人なのだろうと思った。
「では、次の一行を書いていただきます。ただ、今の一行の下に三センチくらいあいだを開けて書いてくださいね。そうですねえ、何か友達に悪いことをして謝るとき、あなたはどんなふうに謝りますか? その言葉を書いてください」
 ぼくはそれを書いた。
「ドウモアリガトウゴザイマシタ」
 スピーカーの声は丁寧なのではない、「機械的」なのだ。ぼくはやっとそれに気づいた。
          ■
 その日のわたしは、不安な気持ちで過ごしていた。朝方郵便受けに変な手紙が入っていたのだ。
『というわけで 今日の午後六時 あなたの愛を確かめに行きます 』
 手紙にはその一行しか書かれていなかった。その一行が書かれた紙の下はびりびりに破かれていて、本当はこの下にも何か書いてあったのじゃないかしらと、わたしは思った。
「なんだかいやな雰囲気だわ」
 玄関にしっかりと鍵をかけたことを確認して、わたしは居間で体をこわばらせ午後六時が何事もなく過ぎ去るのを待っていた。今この家には、わたし一人しか住んでいない。今日みたいな日に近所の奥様たちがうちに来ればいいのに、とわたしは思った。よく家にくる奥様たちはわたしと同じ四十代の人たち。亭主の愚痴と近所の人の噂話ばかりでいつもうんざりするのだけど、もし今日来てくれれば、わたしは彼女たちと一緒になって下品な話に華を咲かせる自信があった。つとめて明るく、下品に。いやな予感を吹き飛ばすために。
 居間のハト時計がもうすぐ六時ちょうどを指し示す。このハト時計は機械のハトが死んでしまって、一時間ごとに「ポッポー」と知らせることはなくなっていた。わたしは長い針を凝視していた。それが「12」を指したとき、やはりハトは鳴かなかったが、代わりに勝手口のほうから音が聞こえてきた。ガラスの割れる音が。ガシャンと。
 目を覚ましたわたしは、自分が右手だけ自由な形で柱に紐で縛られていることに気づいた。どうやらわたしは気絶させられていたらしい。
「こんばんは、あなたには手紙を書いてもらいます」
 薄暗い部屋の天井から声が聞こえてきた。その声は機械を通して強烈に変えられていたけれど、わたしにはその声の主が誰なのかわかってしまった。目の前のテーブルにはノートとペンがあった。
「ああ、もう手紙とは呼べないな。これで終わりだから」
 彼はそう言うと、わたしに質問をした。彼の質問は「人に愛情を伝える言葉を書いてみてください」だった。わたしはその答えをノートに書くのだ。
「書いたわ。あなたはこれで満足なの?」
 わたしは彼がやっていることの全てがわかったわけではない。でも彼のおかしな行動の原動力が悲しみであることだけはわかっていた。彼は悲しくて悲しくて、ずっと悲しみ続けて、遂にねじ曲がってしまった。
「まあ、満足……ですかね」
 彼が満足と言った瞬間、わたしの目からは涙が溢れてきた。わたしは声を上げて泣き、涙はどこまでも溢れ続けた。
「どうもありがとう。地獄に落ちろ、愛しい人」
 わたしは部屋中にいやなガスの匂いが充満していくのを知った。
          ■
 というわけで、私の犯行は終わった。
 娘にとって今までの人生で一番苦手だったのは『お父さん』だそうだ。
 息子は人に『ごめんなさい』と謝るらしい。
 妻は私と離婚したあと、誰かに『愛してる』と言ったのだろうか。
 でもそんなことは私にとってどうでもいい。私はとても満足している。なぜなら彼らがこの世に残した最後の言葉は、
『お父さん ごめんなさい 愛してる』
 なのだから。