横顔のピアニスト

「久美、いい? Gの和音はここに手をおくのよ」
 ママはそう教えてくれた。
 ママは綺麗だった。裕福な家庭のお嬢様だったらしい。パパと結婚したのは二十歳のころで、そのころのママが道を歩くと、人が振り返るほどだった。
 良家のお嬢様といえば、どこか世間知らずな、のほほんとしたイメージがあるけれども、ママは違っていた。自分がお金持ちの家に生まれてラッキーだったとか、美人に生まれてたくさん得をしたとか、そんなことが考えられるくらい普通の人だった。
 だからこそママは、わたしが生まれたとき願ったのだ。
『この子が美人に育ちますように』
 わたしは、ママの願いどおりに育ったように思う。
 小学校に上がるか上がらないかのころ、わたしはピアノに興味を持った。そのことがわかると、ママはとても喜んだ。「さすがあたしの娘だ」と。その日からママはわたしにピアノを教えた。ママのピアノは、顔ほど一流ではなかったけれども、幼いわたしに教えるには充分だった。
 わたしには、もしかしたらピアノの才能があったのかもしれない。それはママ以上だった。祖父や祖母は、わたしがピアノを練習していると、「ママが子供のころにそっくりだ。いや、ママもそんなに弾けなかったぞ」と、わたしを誉めた。
『母似』
 そんなことを言われ始めたころからだった。ママが鏡台の前に座り、何時間も自分の姿を眺めるようになったのは。わたしに冷たくなったのは。
 中学に上がるころになると、わたしはますますママに似てきた。若いころのママが写真から飛び出してきたかのように。わたしはママが望んだとおり、みんなにちやほやされだした。
「そうか、これが得をするということか。よかった、ママの子でよかった」
 わたしはピアノが大好きだった。ただ弾けるだけで幸せだったのだけれども、周りがそれを許さなかった。わたしはいくつかのコンクールに出て、賞をとるようになった。わたしのピアノが評価され始めたのだ。
「次は国際大会だな!」
 パパがそんなことを言ったある日の夜、わたしの寝室にママがふらりと入ってきた。
「あなたは本当に昔のあたしにそっくりね。あなたが綺麗になるたび、あたしが醜くなっていってるみたい。そう、あたしからなにかを吸い取っていってるみたいに。でも、覚えておきなさい。美しさには寿命があるのよ」
 そのときのママの表情は今でも覚えている。怒り、憎しみ続けて、遂に感情をなくした、そんな呆けた顔だった。
「あなたは、あたしには無い才能を持ってるわね、ピアノの才能。せめてそれだけは残しといてあげようかしら?」
 ママはそう言うと、なにか、湯気のようなものが立つ液体をわたしの左頬にぶちまけた。
 わたしは17才になった。今でもピアノは続けていて、今日初めて世界を舞台に弾く。
 客席を右手に見ながら、わたしはステージを歩いていった。ピアノまでたどりつくと、そのままお辞儀もせずに椅子にこしかける。
 たくさんの視線を右頬に感じながら、わたしはGの和音に手をかける。わたしの左側は、誰にも見られていない。