ふさわしい?

 僕には関東で暮らした十年弱の期間があるけど、今思えばずいぶんと自己完結し、外の世界に興味を持っていなかったなと思う。その傾向は今でもあるけど。
 特に東京に住んでいた期間なんて、ずいぶんひっそりと暮らしていた。ずっと部屋にいたとか、人とかかわらなかったとか、そういうことではない。ふつうに社会のなかで暮らしていたけど、気持ちが外に向いていなかった。そのころの都会でのひっそりとした生活は、ある人の言葉をきっかけに、僕にとってひとつの誇りにはなっている。だけど、今の僕が急に東京で二年くらい仕事をしつつも、わりとゆるやかに暮らしていいよってことになれば、色んなところに足を運ぶだろう。それこそブラタモリみたいに。
 僕は世間の同年代と比べると結構自由なご身分なので、今でもやろうと思えば、東京で暮らせるだろう。でも、やらない。さっき言ったみたいなブラブラした暮らしに憧れはあるけど、実際に家を飛び出してやりたいかと言うと、やりたくないだろう。あれは、若いときにやるべきことだったんだという思いがある。
 過去について、選択を間違えて口惜しいという後悔をすることはないけど、なんであのころにこういうことやらなかったのかなと思うことは時折ある。そういうのは全部今からでもやれることで、よく世間の人が言うように、「何かをやるのに遅すぎることはない」に該当するし、実際やれる。ただ、今からやるならもういいわって感じ。
 今から過去にできたことをやるよりも、将来また、なんで今やれたことをやらなかったのかと思わないように、今にふさわしいことをやろうという気持ちがある。ただ、今にふさわしいだなんて、これまた微妙な感覚ですね。何を偉そうにという感じもする。