ゲージツ

 うちの新聞のテレビ欄には、毎日赤ペンで印がつけられている。一日のどこでその印をつけるのか知らないけど(たぶん朝食後だろうが僕はすでに出勤している)、親父が見たい番組に印をつけるのだ。その選択肢に少し変わったところはあるが、基本的には世間一般のお年寄りが好きそうな番組に、いつも印がついている。しかし最近は、「日曜美術館」や「美の巨人」といった、建築の芸術(?)というような番組によく印がつけられるようになった。ちなみにこのようなことが確認できるのは、僕が一日遅れで新聞を読むようにしているからだ。夕食後、前の日の新聞を部屋に持ち込んで読む。当日の新聞を部屋に持ち込んでしまえば、せっかく印をつけたテレビ欄が、リビングから連れ去られてしまうからだ。
 ところで親父は、若いころからジャズと写真とベースを愛していたらしいが、今はアコギと時々ジャズといった感じで、写真はもうすっかりやめてしまった。自分でモノクロ写真の現像までしていて、自分の部屋を暗室化する仕組みまであったが、数年前、現像のための機械はすっかり処分され、親父の部屋が暗室となることはたぶんもうない。恐らく、デジタルカメラが普及して、写真があまりにも手軽になったからだろう。難しくないものなんて、きっとやりたくない人なんだ。この点は俺に似ている。あ、違いました。僕が似たのですね。その代わり、ここ数年は母が写真に凝っている。そろそろ一眼レフがどーたらこーたらと言い始めている。
 親父は、カメラに興味をなくしたあとは、やたらと日曜大工をやっていた。日曜大工というか、家まわりや庭の手入れすることに夢中になっていた。壁を塗ってみたり、庭師気取りで木の手入れをしたり、屋根にのぼって何かしたり。要は、テレビ番組の「大改造!! 劇的ビフォーアフター」の建築士みたいにやりたいのだ。そして今、この家は、もう手入れをするところがなくなってしまった。瓦のふき替えや床下のシロアリ検査・対策などは、さすがに業者がやった。
 そして最近は、いわゆる芸術的なものに興味を持っている。昔の手帳の展示会に行ってみたり、九州国立博物館に興味を示したり、芸術のテレビを見たり。よくわからないけど「ビフォーアフター建築士みたいにやりたいのが少しおさまってきて、カメラをかまえていたときのゲージツ的気持ちが少し戻って来たのだろう。そこで、ゲージツ的建築、という結実。あの年になって、自分の好きなものが二つ融合することもあるんだなと興味深く思う。ある日突然、庭に前衛芸術的な何かができると面白いんだけど。