東京ひとけしき

 昔の情景を思い出して、あたたかい溜息が出る夜もある。不思議と、人は出てこない。人はまだどこかで、元気で生きているからだろう。そう信じている。
 あの日、彼女は仙台で働くと言ったし、僕は仙台には行きたくなかった。でも、あのあとから僕が見る東京の景色は純粋なものになった。そしてしばらくして、気位の高い近所の猫に見送られながら、僕は純粋に東京とお別れすることになった。
 満ち足りているって、いったい何なのだろう。それは良いことだけど、でもそれがなんだって言うんだって、小石を蹴りながら呟きたくなる夜もある。でもあくまでも、呟く程度で、蹴るのは小石程度だ。灰皿を叩き付けたりしない。
 かつて僕は、夜も明け切らぬ時間に気まぐれを起こして、缶ビールを飲みながら山手通りを自転車で走ったらしい。確かに、記憶はある。ある人が吉野家の牛丼は“つゆぬき”がうまいと言うので、それも気まぐれで試したあとのことだった。どこかで知り合った早稲田大学の女の子の影響で、僕が日常的に酒を飲みはじめたころのことだった。あのころはビールだけだったけど。
 ウイスキーなどの強い酒を飲みはじめたのはいつだったか。そのきっかけも覚えているけど、もうこのへんで止めよう。溜息があたたかいのは、短い時間だ。明日もいい日になりますように。みんなも。