明日に向かって

 ウオーキングやジョギング時に、音楽を聴きながらやっている人を見ると、もったいないなと思ってしまう。あのただ歩く、ただ走るときにとめどもなく流れていく浅い思考。歩くこと、走ることに七割ほど思考を奪われ、熟考をすることはできないけど、考えるともなしに考えられている。あるいは何かを感じている。それは、どうぶつの思考に近いのではないかと思っていて、あの時間に、人は自然と、決めつけることなく、観念に囚われることなく、適切な心持ちを手に入れたり、アイデアをゲットするんじゃないかなとか思っている。熟考することなく、真っ直ぐな生涯を歩むどうぶつのように。
 僕はなかなかウオーキングやジョギングといったことをしないから、そういうインプットともアウトプットともつかない時間といえば、おもに風呂に入っている時間である。そう考えると、風呂に入っているときって、気持ちいいけどやはり体力を使うのだろう。昔は風呂に本をよく持ち込んでいたが、数年前にやめた。風呂ではどっぷりと湯船に浸かりながら、流れるままの思考に身を任せている。
 あとはクルマ乗っている時間。仕事の日には、往復で二時間近く運転しているので、ふだんはラジオを聞いたり音楽を聴いたりしている。さすがに手持ち無沙汰なので。でもときどき、音を止めて、何も音がしない状態でクルマを走らせる。
 先日、いろいろな時間調整の都合で、定時より一時間くらい早く退社することになった。その日はよく晴れていて、暖かく、そらはまだ明るかった。僕は窓を開けて音を止めて、家まで小一時間の道のりを、外の音やクルマの音を聴きながら帰った。そのときは、何か自然な考えを手に入れる実感はなかったが、たまにそういうことをやるのはいい。
 でも、先日は途中で日が傾いてきて、窓を開けていると少し寒かったな。ちょっと意地になって、最後まで窓全開で帰ってきたけど。初夏とよばれる季節が待ち遠しい。