「いいかい? 人間は、いついかなるときでも徳を積んで生きていかなければいけないよ」
「そうかなあ」
「“情けは人の為ならず”という言葉があるだろう? これは、人にかけた情けは、いずれ自分に返ってくるということだよ」
「“いずれ自分に返ってくる”これを期待してる時点で徳ではない気がするんですが」
「まあ、たしかにそうだな。でもそうでも言わないと、良い生き方をしよう、なんて人がいなくなるのさ」
「それはそうですけど、返ってきます? 自分に。良いことが。徳を積んで生きていっても、損をするばっかりだと思うけどな」
「そんなことないよ。例えば徳を積まない生き方をしてる人、人殺しや強盗なんかは警察に捕まって、牢屋に入れられているよ」
「そういう極端なわかりやすい人だとそうでしょうよ。でも世の中にはとことん自分勝手に、溌剌と生きている人がたくさんいますよ。そしてそういう人たちに、目に見えて悪いことは全然起きてないですよ」
「実はな……(小声)」
「あいつら、糞みたいな人格で、伸び伸びと生きていますよ。徳を積むような生き方が無意味だってこと、そういう人たちが証明してますよ」
「実はな、人生の最後には……(小声)」
「だから、いつか自分に返ってくるとか! 神様は見ている! とか!」
「実は人生の最後には、せき……」
「そんな考え方ではだめなんですよ!」
「いいから聞けよ。いいか、人生の最後には関所があるんだ」
「ああ、あの話ね」
「あの話ってなんの話だ?」
「どうせ閻魔大王とかそういうことでしょ? 最後の審判で、地獄行きと天国行きと中国行き」
「中国行きは聞いたことないな」
「生前、中くらいの行いをした人が行くらしいです。インターネットが言ってました」
「そうか。でもそんな話じゃないんだ」
「あら、そうなんですか」
「いや、実はその話だ。ただ、その話って、案外厳密にシステマチックで、すごく数値化されているんだ」
「へえ」
「人生最後の関所では、徳数値の判定がなされる。それこそ生まれた瞬間から死ぬ間際まで、非常に細かく徳数値は計られているんだ」
「徳数値?」
「そうだ、徳数値だ。例えば死ぬ間際に、“今までありがとう”と家族に言えた人は徳数値+10だ」
「マイナスはどんなのがあるんですか?」
「“あのナース、パンツ透けてる〜”とかだ」
「間際にそんなこと言う人いるんですか?」
「案外そんなもんかもしれん」
「思い当たります」
「うちのばあさんは、最後にナースや医者たちに親指をグッと立てて死んだ。これはかなりのプラス。死ぬ一ヶ月前には、病室から窓の外を見やり、“雪が降ってる”とぽつり呟いた。これも大幅プラス」
「ああ、なんかそういう繊細な感性まで汲み取って判定してくれるんですね」
「そうだ。どうだい? 徳を積む生き方、無駄ではないだろう?」
「悪くないかも」
「ただな。天国、地獄、中国。死後に行った先々で、人はなぜ自分がそこにいるのか、覚えていないんだ」
「つまり、生前の記憶は消されて、みんなそこにいると」
「そうだ。天国にいる人は、自分が毎日を極楽に過ごしている理由を知らないし、地獄の人はみな、私はなぜこんな辛い目にあっているのだろうと思っている。中国に行った人は、なんとなく中国にいる」
「はあー。じゃあやっぱ、結局のところ因果応報ざまあみろって感じにはならないんですね。結果に対する原因を認識できないんだから」
「まあそうだな。逆に言うと、今の自分を取り巻く環境が、自分自身のことを含めて、何らかの原因に起因する結果だと認識できていないってことでもある」
「な、なるほど…… 難しい話になってきましたね」
「うむ。ただ、何か納得できるものが出てきたんじゃないかな?」
「つまり今、溌剌と自分勝手に生きている人たちは、過去に素敵なことをした人たちなんですね」
「そうかもしれない」
「ちなみに、死ぬ間際に発した言葉で、プラスにもマイナスにもならない言葉ってのはあるんですか?」
「あるよ」
「どんなのですか?」
「例えば、俺のじいさんが最後に発した言葉がそうだ。プラマイゼロ。今ごろどこでどうしているやら……」
「なんて言ったんですか?」
「ミックスジュースが飲みたい」と。