あるいは焦ってる

 母のWIndowsパソコン。ウイルス対策ソフトがもうすぐ使用期限を迎えるので(無料のやつ)、その更新をした。母はいつのまにか「パソコン小部屋」的なものを家のなかに作っていて、その小部屋がとてもいい感じ。壁に写真やら何やらを貼ったり、布をふわ〜とさせたり、引っ掛けたりするやつに色々とぶら下げてあって、とても狭く、とても落ち着く。正直、センスいいなあと思ってしまった。
 考えてみると、父も自分の部屋を自分の好きな風にするということにかけては抜群のセンスを誇ってい、カメラと楽器とオーディオとジャズのレコードで、ものすごくいい感じに仕上げている。そんな両親の子なのに、なぜ僕の部屋はこうなのだ。
 恐らく機能にこだわりすぎなのだろう。なんでも手に届く範囲にないと、そしていつも便利なように配置されていないといやだという気持ち。そういうふうに部屋を構成すると、部屋のたたずまいってのはどうしても見た目が悪くなる。とにかく機能第一、というふうな考え方を持っている時点で、あのような素敵な部屋にはならないんだろうな。
 そういえば革製品が大好きな僕は、毎年この時期、ほぼ日手帳の高い革カバーのやつを「いいな」と思いながら眺めている。でも、スケジュール管理を含めて色々なことを、iCloudで連携されるMaciPhoneでやっている僕に、手帳は今のところ必要ない。これも機能重視ってことだよなあ。手書きの良さってのはわかるし、手帳を必要として生きている人は素敵だなと思うんだけど、今の僕はそういうふうにはなれなくて、なんともまだ何かを見つけていない感じだ。