あたらしい椅子

 いったいどういう知り合いがいるのか、微妙に材木マニアである親父が、先日見事なヒノキの切り株の部分を三つももらって帰ってきた。太さが直径三、四十センチくらい、高さが四、五十センチくらい。つまり趣のある椅子として、とてもいい。
 三つの“椅子”のうち二つは、玄関に置かれている。先日近所のばあさんがうちにやってきてその椅子に座り、うちのばあさんももう一つの椅子に座り、玄関で話し込んでいた。
 さて残り一つの切り株は、僕の部屋の前に置かれている。僕は以前から部屋の前にスツールを置いていて、そこに座ってタバコを吸っていた。横には缶の灰皿。そのスツールはだいぶ前に四本の足のうち一本が折れた。親父が椅子に上って何かしているときに折れたらしいのだけど、残り三本の足をのこぎりで切り折れた足と同じ長さにする、という荒業によって、今もなんとか椅子としての体面を保っている。ずいぶんと座高の低い椅子だ。座りにくい。だからきっと親父は「お前のタバコ用の椅子」という感じで、僕の部屋の前にヒノキの切り株を置いたのだろう。
 今僕の部屋の前には、切り株と椅子が並んでいる。どう見ても切り株のほうが座りやすい。そんなことはちゃんとわかっている。けれども、気がつくといつも座高が異様に低い本物の椅子のほうに座っている。快適な場所があるというのに、慣れた場所に非常に座りにくそうに座っている自分がいる。なんだか犬みたいだ。