人類の叡智

 庭にタバコの吸殻を入れるための缶を置いている。たぶん元々海苔かなんかが入っていたでかい空き缶だ。僕の部屋の窓のすぐ横の、屋根のひさしの下に置いているのだが、ここ数日の激しい横殴りの雨で、缶の中に水が溜まってしまった。タバコの吸殻が溶け、缶の中はどろどろ。これはいかん、と思ったので、中の水を捨てようと思った。けれどどろどろの吸殻ごと、大雑把に捨てるわけにはいかない。庭にタバコの吸殻をばらまいてしまえば、九十歳になっても大迫力のばあさんに怒られるだろう。水だけを捨て、吸殻は缶の中、ってのが理想。
 しばし考えたあと、ざるを使ったらどうか、と思った。タバコの吸殻を“こす”のである。そう思い台所に行きかけたのだが、よく考えたら食い物のために使うざるを、タバコの吸殻でてんこ盛りにしてしまうのはだめだと思った。もしばれたら、五十代になってもヒステリーの母親が暴れまくるかもしれない。
 庭の水道の所でううむと思案していると、ちょうど横に植木鉢があった。植木鉢の底には小さな穴がいくつか空いてあり、まさにざるのようだった。おおこれだ、頭いい! と思いながら、植木鉢の中にどろどろの水を注ぎ込む。タバコの吸殻は植木鉢に溜まり、水だけが排水溝に流れていく。
 無事に水を処分したあと、植木鉢に溜まった吸殻を缶に戻そうとするものの、べったりとへばりついていて取れない。逆さにしてバンバン叩いても、へばりついたままだ。なので今度は缶を下に置いて、逆さにした植木鉢の上から水をかけた。水によってはがされたタバコの紙が、缶の中に落ちるという寸法である。
「それって水も一緒に缶の中に落ちるんじゃないの?」
 心の中の天使がそう話しかけてきたときは、もう遅かった。缶の中にはすでに水が溜まっていて、再びタバコの吸殻がぷかぷかと浮いていた。つまり元に戻ったのである。
 素晴らしい工夫の連続であった。しかし結果的にはスタート地点に戻ってしまった。しかし人類の歩みとはそういうものなのではないか? と無理やりこじつけて、ここに筆を置くことにいたす。