冤罪

 うちは田舎にあるものだから、近所には押しボタンの信号が多い。うちの家からすぐの横断歩道も、押しボタンの信号だ。でもその横断歩道がまたぐ国道は、田舎とはいえ重要な道路であるらしい。バイパス建設中だが、今のところA市とB市をつなぐ国道はそれ一本しかない。結果片側一車線のその道路は、真夜中をのぞいて交通量が結構多くなる。車の流れがなかなか途絶えない。
 だがしかし、いくら車の流れが途絶えないからといって、その横断歩道を渡るときに信号のボタンを押すのはためらわれる。なにしろ僕たったひとりが渡るために、赤信号で停止した何十台もの車の列ができあがるのだ。明白なる僕の意思によってその行列が作られるのだと思うと、なかなかボタンを押す気分にはなれない。だから僕はいつも、車の流れが途絶えるのを気長に待つようにしている。こんなところで少しでも時間を稼がないといけないほど慌しいことは滅多にないし、例え忙しいときでも、「俺が時間を稼ぐのはここじゃない」などと思ったりしている。
 余談だが、都会の横断歩道でよく見かけるフライング歩行者、車のほうの信号が赤になり、時間差で歩行者のほうの信号が青になるまでのあいだ、そろりそろりと横断歩道を渡り始める人たちっているじゃないですか。僕はそういう人たちを見ていつも、「お前ここでちょっとでも時間稼がなきゃいけないほどの生き方してんのかよ」なんて思ってしまいます。性格悪いですね。まあ「そろりそろりとちょっと急いでいる感」が好きじゃないだけであって、赤のうちに颯爽と、堂々と渡り始める人は好きですよ。もっと言うと、たぶんこれは急いでいる、急いでいないの問題ではなく、ただの習性でしょうね。おそらく「信号はしょせん機械、だけど堂々と無視するのはちょっと……」みたいなところから来る。
 話がだいぶそれた。
 今日の僕も、家の近くの横断歩道で気長に車の流れが途絶えるのを待っていた。すると国道をはさんで道の向こう側に、スクーターに乗った男子高校生が現れた。彼はブイーンと信号の押しボタンのところまで行き、全く躊躇することなくボタンを押した。歩行者用信号はすぐ青に変わる。僕は「若いってすばらしい」などと思いつつ、青になった横断歩道を歩き始めたのだが、ふと左右を見ると、長い車の列ができている。スクーターに乗る“犯人”はあっという間に、この現場から去ってしまった。容疑者としてひとり横断歩道を歩く僕は、二階で降りた人のおなら臭ただようエレベーターにひとり残され、三階から乗ってきたたくさんの人たちに睨まれているような気持ちになった。