黒と白

三時間睡眠で仕事、は大丈夫だが、三時間睡眠で起きたら二日酔い、は相当しんどい。朝からびっくりするくらい水分ばかり補給している。体が熱くてだるい。頭の後ろのほうにもやもやとした何かが棲んでいる。
髪を切った。もうずいぶん長いこと通っている床屋で切った。いつも通り「いつも通りで」と言うと、できあがりはいつも通りいつもと違っていた。行くたびに前と微妙に違う髪形にしてくれる。もしかしたら僕という人間は十人くらいいて、それぞれ少しずつ違う髪形をしていて、僕が訪ねて行ったとき、髪を切るあのおじさんは違う僕がやってきたと勘違いしているのではないだろうか。今日髪を切りに行った僕は僕パート1なのに、おじさんは僕パート3がやってきたと思い、僕パート3の「いつも通り」の髪形にしてくれたのだ。こうしてパート1からパート10まで十人いる僕は、少しずつ以前とは髪型を変えていく。パート1と2が次第に同じ髪型になっていき、パート3と4も少しずつ同じ髪型に近づいていく。5と6も、7と8も、9と10も。
やがて僕は僕(白)と僕(黒)だけになる。僕(白)は昼間から怯えている。僕(黒)は時には蛇に姿を変え、また時にはカラスに姿を変え、あるときは道端で揺れるあじさいに姿を変える。次に台風が来るとき、その前夜には救急車が国道を猛スピードで走りぬけるだろう。赤色灯に照らされゆらゆらと揺れるあじさいの花を見、僕(白)は「まるで人の頭みたいだな」と思う。僕(黒)は真っ暗な闇から僕(白)をにやにやと眺めている。
台風が過ぎ去ったころ、僕(白)は僕(黒)に完全に飲み込まれる。僕(白)は完全に僕(黒)の支配下に入る。完敗。僕(白)はもう人間として生きていくことができない。僕(黒)のなかで暮らすのだ。だが僕(白)はあきらめなかった。僕(白)は、僕(白)を捨て去ることを決意する。黒に働きかけるだけの存在に成る。じわじわと、じわじわと。
三ヵ月後、僕(黒)は髪を切りに行く。僕(黒)は「いつも通りで」と言う。髪を切るおじさんはニヤリと笑い、てきぱきとハサミを使う。できあがった髪形を見て僕(黒)は唖然とする。
「おじさん、前の髪型と全然違うじゃないか!」
「そうだよ、キミは前と全然違う。もう手遅れさ」
こうして僕(白)は、僕(黒)を乗っ取ることに成功した。僕は髪を切るおじさんにお礼を言った。
「どうもありがとう」
僕はおじさんの仕事に対して三千三百円のお金を払った。からんからんと音のするドアに手をかけたとき、おじさんは僕の背中に向かって言った。
「でもキミ、ほんとは黒なんでしょう」
そう、僕は本当は黒。だからこれからもがんばりますと言って外に出た。