ひとことで言うと

「ひとことで言うと、ビールにもちゃんと注ぎかたってものがあるのよ」
 彼女はそう言って、三百五十ミリリットルのビール缶を高く掲げた。テーブルの上にはグラスがあり、遥か上のビール缶から、金色の液体が派手な音を立てて注がれている。
「泡ばかりじゃないか」
 と僕は言う。
「わかってないわね。このまま三十秒ほど待つこと」
 彼女は三十秒待って、今度はグラスを手に持ち、斜めにし、低い位置から静かにビールを注いだ。
「どう?」
「うん、見事だ」
 グラスに注がれた金色の液体には、白くきめ細やかな三センチほどの泡が乗っかっている。
「この泡が重要なのよ。こうするとビールのおいしさが逃げない」
「ビアホールで出てくるビールみたいだな」
 僕は見事に注がれたビールを一口飲む。途端に口の周りに泡がつく。
「飲み方がなってないわね」
 と彼女が言う。しかし彼女だってなっちゃいない。彼女は今、両切りのタバコを吸っているのだけど、その吸い口が湿っているのだ。僕は、お前が両切りタバコなんて十年早いよ、と心の中で思う。
 彼女とはテーブルを挟んで座っている。テーブルの上にはビール、タバコの他に、つまみが置いてある。鶏肉のからあげだ。それは僕の大好物なのであった。
 僕はパクパクとからあげを頬張りつつビールを飲む。彼女に対して話したいことは、特にない。彼女は言う。
「あなたいつもからあげばっかり食べてるわね。そんなの食べてたら太るよ」
 だがしかし、僕はやせっぽちだ。そして彼女は、百キロを越す巨体だ。身長は百五十センチ台。お前に言われたかねえよと、僕は心の中で呟く。だが口にはしない。からあげを食べる。
 ひとことで言うと彼女は、自分自身を見たり考えたりすることができない人だった。それでも彼女には友達が山ほどいる。なぜなら彼女は、他者への視点がするどいことで評判だったからだ。誰もが悩みを抱えると、彼女に相談をしに行った。すると彼女は非常に的確にその人の問題点を指摘した。なおかつその人が受け入れやすいような解決法までも提示した。悩みを抱えていた人は、彼女と話し終わったあと「話を聞いてくれてありがとう。頭の中の霧が晴れたような気がするわ」と言って帰っていった。しかしみんな本心から彼女に感謝しつつも、心の片隅に「太ってるくせに偉そうに」という気持ちがあるのだった。未熟者な僕にはよくわからないが、これは人間なら仕方のないことだと思う。どこかの偉い人がいつか言っていた。「人間の心には必ず闇があるのです。それを表に出さないことが大事なのです」
 そんな彼女がある日突然、色々な人に対して「わたしってどう?」と言い出したから大変だ。みな彼女に対して色々なことを思うのだが、真っ先に思うのは百キロを越える巨体のことだったからだ。でも誰もそのことを言えない。
 世の中には他者依存と自己嫌悪の関係がある。つまり他人に映る自分を気にしすぎることが、陳腐な言葉で言うと「今ある自分を好きになる」行為を妨げ自己嫌悪に陥るといった具合だ。しかし彼女の場合は違うのだ。元々自分を客観視する能力が全くないのに加えて、いざ他人に映る自分を確認しようとすると、誰も彼女に本当のところを言ってくれない。つまり観念的には、彼女はこの世の中のどこにもいない。
 彼女が「わたしってどう?」と言い始めて、すでに三ヶ月の月日が経つ。もう今では、彼女は他人の悩みを聞いてあげたりしていない。ひたすら自分のことだけを考えている。彼女を慕っていた人たちも、彼女に相談をすることができなくなった。結果僕の周りの人たちは、彼女を含めほとんど全員悩みを抱えふさぎこんでいる。これは全くの悪循環だなと僕は思う。これはよくないことだと僕は思う。
 だから、今度彼女に会ったときは勇気を持って言おう。どこかの偉い人の言葉には逆らうことになるがしょうがない。「ひとことで言うと、お前は太っている」と。