風と和解

 確かにもう二度と感じることのできない、思い出の五感ってのはある。僕はわりとそういうことを残念がらないほうで、「もう二度と、あのときの○○は○○できないのね……」という心持ちにはならない。でも人並みに、記憶の中のそれらはわりと美化されていて、その「美化」って無意味じゃないかなと今日ちょっと思ったんだけど、美化された記憶って、どうも実体として記憶の中に存在している気がする。なんだろうこの実体。存在したことのない実体。
 今日は諸々やったあと、家近くの銀行までに通帳記帳に行った。帰り道、ふと駅に続く小径に目をやると、良くん(人んちの飼い犬)が「おっ」って目でこちらを見ていた。そういえば良くんは、この冬やたらとしょぼくれた感じになっていて、考えてみたら僕が東京から帰ってきたときにもう良くんはいて、今年で帰福十一年目なのだから、彼は少なくとも十一歳以上なのだ。
 この冬、ちょっと弱った感じの良くんを見たときは、もしかしたら長くないのかなと思ったけど、今日僕が久しぶりに小径に入って行くと、ものすごいはしゃぎっぷりで、ああ、あったかくなって元気になったんだなと思った。でも、ひとしきりはしゃぎ終わるとハアハアゼエゼエ息をしていてね。やはりもうかなりのおじいさんなのだな。
 あと今日は、小さな真っ黒いヘビも見て、九年ぶりに風の音を嬉しく聴いた。