夕涼み、あるいはクルマのヘッドライトに纏わる考察

 今日はお休み。このあいだのラーメン屋にまた行こう、行こう。そして白の半袖シャツを買いに行こう、と思いつつ家でざるそばを食べてしまって、そのあとはもう一日中部屋でだらだら。蕎麦め。
 夕ご飯を食べたあと、7時半過ぎあたり、夕涼みに外へ。タバコを吸いながら家の前の坂を歩くと、ぬるい空気だったけど気持よかった。あたりはだいぶ暗くなってきていて、たぶん帰り道を走る国道のクルマはみんな、ヘッドライトをつけていた。
 去年の秋からクルマ通勤をしはじめたけど、定時が18時だから、今まであまり気にしていなかった「日の長さ」にとても敏感になった。ヘッドライトをつけずに帰れるようになったのは、何月くらいだったかな。そのころ僕は、どんなことを考えていたかな。どんな気持でいたかな。
 今日、福岡では大濠公園花火大会。花火は大好きです。今を生きる僕たちはたぶん考えすぎだから、みんなどこかで、考えなくてもいい瞬間を探していると思う。でも、悲しいことでもおもしろいことでも、考えることは刺激的でおもしろい。そして刺激的なことが世界にはあふれているから、原始人みたいにずっと夜空を見上げ続けていることができない。花火ってのは、その見上げ続けていること、の、口実を作ってくれると思うのです。
 去年の夏はすてきな夏だったな。今年はどうなるかわからないけど、去年なくて今年あるのは、クルマという足。これは確かな真実。だから、いろんな花火大会を巡ってみてもいいね。
 夕涼みのとき、これからまだまだ暑い日は続くだろうけど、日はもう短くなっているんだなって思った。またクルマのヘッドライトをつけて帰るのは、いつくらいだろうね。そのころ僕は、何を考えているのかな。どんな気持でいるのかな。