見えない刀で

 なんとなく昨日は人と接するのが億劫で、人と話すたびに体が緊張してたりしていた。こんな日もある。そこでふと思いついて、女の人と話すときはいやらしいことを考えながら(でも態度にはもちろん出さず)、接してみることにした。するとどうだろう。途端に世界が艶やかになったのだ。いやらしいですね。
 しかしそうやっていて気づいてたんだが、社会の現場で社会人滝本として存在しているときって、ほんとに女を女として全然見ていないなと思った。社会人としてはそれはそれで正しいような気もするけど、今日女の子の目の形や髪型とかに注目してて、こんな人だったのかーと思うこともしばしば。
 考えてみると男を見るときもそうだ。社会の現場にいる男と接するときは、知り合いでもないかぎり、その男のことをちゃんと見ていない。
 どんな人でも、例えば駅構内で人にまみれているときは、少しの緊張感があると思う。それはもしかしたら、まわりにいる人間をちゃんと人として意識していないからではないか。というわけで、駅を歩いているときも女の人をいやらしい目で見た。というかいやらしくないんですけどね。「どんな女の人かな」という意識を持ってた、という程度。で、困ったのは男のほうである。駅構内にいる男どもを、一体どういう目で見ればいいのか。いやらしい目で見るのは無理だ。そういう趣味はない。散々考えた結果、全員敵にしてみようと思った。敵を見る目ってのは、女を見る目とタメを張るくらい鋭いと思う。男はいったん外に出ると十人の敵がどうたらこうたらという言葉もあるし。だから改札を出て駅ホームに下りるまでのあいだ、拙者すれ違う男どもをバッサバッサと斬り捨てていったのでござる。