ほんとはなんにも見えていない

人様の文章を読んでてふと思ったんだけど、例えば視力2.0の人と視力0.1の人の想像の仕方って同じものなんだろうか。僕は中学三年まで両眼とも2.0で、そのころからぐんぐんと「近くを見るために特化した目」になっていき、今では両眼とも0.1以下である。もし僕が生まれてからずっと2.0でクリアな世界を見続けていたとしたら、今とは違った想像の仕方をしているような気がするのである。
「想像」というのは、今までに五感で得た情報を自分で好きなように再構築することだと僕は思っている。また、五感のなかでも「視覚」による情報の蓄積が一番「想像」に大きな役割を果たしていると考える。となると、想像をする際の一番の情報源が「ぼやけた世界」の人と「クリアな世界」の人とでは全然違う気がするのだ。
近視の僕でも、メガネやコンタクトレンズをしてクリアな世界を見ることができる。だが、“本当は”ぼやけた世界なのだ。いや違うな。僕には今ぼやけた世界が見えていて、それは僕にとっての“本当”なのに、クリアな真実があることもレンズ越しの偽の映像で分かっている、という感じか。
こんなややこしいことを経由して世界を見ている今の僕の想像と、問答無用で世界がクリアだった子供のころの想像とでは、根本から何か違うような気がするのである。